【整体|痛みの伝達②】でお話しした、発痛物質がセンサーのスイッチをオンにして、異常事態の情報を脊髄から脳に伝えると、述べました。
ころが、その時にその情報は脊髄などの中枢神経の中にある特別な門を通るのです。この門が大きく開いていると、情報がどんどんの方に送り込まれ、痛みを感じる中枢神経が刺激され、すごく痛いと感じるのです。
ところが、門が閉じていると、情報が脳に伝わりにくく、痛みを感じるのがあるのです。
痛みの情報が通る神経伝達は中枢神経です
「痛いの痛いの飛んでいけ~」は痛みのセンサーをオフにするシステムにより軽減されます。おまじないと思われる、この風習、行為は全世界にあり、各々の国の言葉で表現されます。では門の開閉はどうして起こるのでしょう?
門が閉じるきっかけの一つに、末梢からくる鈍い刺激があります。 以前のブログの例えのように、子供の頭を撫でたり頭をぶつけたところを擦ったり、なでたり、という鈍い刺激を加えることで、中枢神経の中にある特別な門が閉じて、鋭い刺激が脳まで行きにくくなるのです。
門の開閉に影響する感情は、不安感は門を開き、安心感は門を閉める
その他に、色々な感情も痛みの門の開閉に影響します。「やったー」という感情や高揚感は門を閉ざす方向に働きます。また、注射をする時、針の先が刺さるのを注視してみていると、勝手に「痛い」というイメージが先行して本当の痛みより痛く感じます。
しかし、注射の針を刺すときに、他の部分や目線の意識をそらすと、注射したことさえ感じない時もあります。反対に、不安感は門を開く方向に作用します。夜中に坐骨神経痛が激しくなったと夜間救急外来に飛び込んできて、診療の後、お医者さんから「心配はありませんよ!」と言われただけで、痛みが「スーッ」と消えて、楽になる人がいます。
不安感が門を開き、その後の安心感が門を閉ざした状況の典型的な例です。
同じ痛さの刺激でも痛いと感じない人もいます
一般に、ある刺激に対して、どのくらいなら痛みとして感じないで、どの時点で初めて痛みとして感じ始めるのか、その境界があるはずです。
たとえば、皮膚をつねっても軽ければ全然痛くないのですが、つねる力を少しずつ大きくして、あるところを超えると痛みを感じるのでその堺があるはずです。それを閾値(いきち)といいます。
「閾」とは「敷居」のことですが、「敷居が高くて入りづらい」という表現があるように、同じ刺激でも痛みに対する閾値が高ければ、痛みとして感じない、閾値が低ければ、ちょっとの刺激で悲鳴をあげる、なんてこともあるのです。
痛がりは天性性や外部環境?生活習慣や性格?
腰痛に限らず、どんな病気でも、多かれ少なかれ痛みも伴いますが、とにかく痛みに対する感受性には個人差があり、痛みに敏感な人は「痛みの閾値が低い」と表現されます。
これは、持って生まれた性格に加え、後天的につちかわれた感受性、痛みを取り除く外部環境などが大いに関係します。
ことに、他人のせいで怪我をした場合、加害者の不誠実な態度が被害者の閾値を低下させることになるのは、よく知られた事実です。
痛みと心理状態とは密接な関係があります。末期ガンの痛みでさえ、こころのケアを十分に行うことによって軽減することも可能なのです。